JOHAニュースレター21_1

日本オーラル・ヒストリー学会第9回大会盛況のうちに閉幕

 日本オーラル・ヒストリー学会第9回大会は、9月10日(土)、11日(日)の両日にわたって松山大学(愛媛県松山市)で開催されました。5つの分科会と研究実践交流会では、いずれも活発な議論が交わされました。大会2日目の午後は、「四国遍路-ピルグリメージとオーラル・ヒストリー」と題するシンポジウムが開かれ、学際的な討議が繰り広げられました。

 来年度の大会は、2012年9月8日(土)、9日(日)に椙山女学園大学星が丘キャンパス(愛知県名古屋市)で開催される予定です。会員の皆様の、積極的なご参加をお待ちしております(次回のニュースレターは、学会大会概要を掲載して8月頃の刊行を予定しております)。

【目次】
(1)学会大会報告

1.大会を終えて 2.第1分科会 3.第2分科会 4.第3分科会

5.第4分科会 6.第5分科会 7.研究実践交流会 8.シンポジウム

(2)総会報告

2010年度事業報告・決算報告・会計監査報告、2011年度事業案・予算案・理事選挙報告・理事構成案

(3)理事会報告

1.第四期 第8回理事会 2.第四期 第9回理事会 3.第五期 第1回理事会

(4)お知らせ

1.『日本オーラル・ヒストリー研究』第8号投稿募集

2.国際学会大会のお知らせ

3.会員異動(略)

4.2011年度会費納入のお願い

(1)学会大会報告

1.大会を終えて

 2011年9月10・11日、松山大学において第9回大会を開催しました。四国の松山という場所での開催は初めてでしたが、両日含めて65名(会員50名、非会員15名)の参加者がありました。地元愛媛の地域女性史のメンバーの参加もあり、自由報告の各分科会、ならびにワークショップとシンポジウムにおける議論も盛況でした。この大会では故松重美人氏の「ヒロシマ」写真展も同時開催され、原爆投下直後の貴重な写真が展示されました。

 今回の企画として、大会一日目の午前中に城山エクスカーションを行い、松山市観光ボランティアガイドの先導で9名の参加がありました。また、懇親会での地ビールと郷土料理も楽しんでいただけたようです。なお、松山大学から大会開催費の一部を援助していただいたため、ほぼ予算通りの決算となり、ほっとしております。参加された会員のみなさまのご協力に感謝いたします。(山田富秋)
2.第1分科会

 第1分科会では、4件の研究報告が行われ、20名ほどが参加した。4件とも戦争体験を語り継ぐことに焦点を当てた研究で、1件は日中戦争に参戦した元日本兵へのインタビュー、3件は沖縄県南風原町をフィールドとした語りの継承についてであった。

 第1報告の張嵐(日本学術振興会外国人特別研究員)『戦争体験を語る・伝えるという実践―日中戦争体験の語りから見る』は、元日本兵へのインタビューで、若い日本人学生が質問できた、たとえば靖国参拝の有無など、聞き手である張自身が「聞きたいこと」を尋ね得ないもどかしさを、「聞き手である私が持っている先入観、構え、そして、日中戦争に関するモデルスートリー」がライフヒストリーを聞く妨げになっていた、と気付き、「こうした先入観を排除し、インタビューに臨みたい」とする。オーラルヒストリアンなら体験したことのある実践上の悩みに共感すると同時に、インタビュアーのエスニシティが意識せずしてインタビュー時の身構えを引き起こしがちであることがわかり、「構え」からの自由がどのようにもたらされ結果に反映されるのか、今後に期待したい。

 第2、第3、第4報告は沖縄県南風原町をフィールドとした連続した内容である。

第2報告:桜井厚(立教大学)『戦争体験を語り継ぐ―沖縄県南風原町の実践から』は、沖縄戦終盤において有数の被災地となった南風原町での13年間に亘る町内の戦争に関する聞き取り調査終了後に、その調査を生かす形で「平和ガイド」が組織化された経緯が述べられた。現在NPO法人として活動する南風原平和ガイドは沖縄戦当事者では無い。中心当事者ではない者が「体験を語り伝えることができるのか」という素朴な問いには、戦争体験は「身内でも伝えられていない」という複雑な現実があり、「語り継ぐことをどう捉えるのか」という「語り伝え」の根本を改めて問う事に繋がった。

 第3報告の石川良子(日本学術振興会特別研究員)『「南風原平和ガイドの会」の実践』は、第2報告を受け、南風原陸軍病院壕の管理・案内のために結成された平和ガイドの会の活動がまちづくりとタイアップしていく様子を、初代会長である男性の語りから紡ぎだし、まちづくりと関わらせることで、さまざまな属性をもった人々が平和ガイドに参加、継承関係が豊かに広がる様子が伝えられ、第1報告の問い「語り継ぐことをどう捉えるのか」への南風原での実践に基づく答えがなされたように思う。

第4報告の八木良広(小田原看護専門学校)『沖縄戦の「死」の語り伝え』では、67年たった今でも発掘される沖縄戦の遺骨について、「遺骨は単なるモノではなく、人の死そのものである」という立場が述べられ、「沖縄戦で掘り返すべきは、「死体」ではなく「死」である」として、それらの「死」が語り伝えられる様子が述べられた。語りべは言語をあやつる人間のみに限定されないという視点に、戦争考古学とオーラルヒストリーの結びつきの可能性を感じると同時に、遺骨を慰霊の対象としてきた沖縄の風習とどのように折り合いをつけ、発掘現場そのものを「死者の語り」として継承がなされていくのか、関心をそそられた。

第1分科会の報告全般を通して、次のようなことを感じた。1つは、町行政とNPOという行政公認の市民団体との協同は、関係性に上下が生じることで語り伝える実践に影響がでる懼れはないのか。2つはまちづくりと関わった平和ガイドの活動が観光客と結びついて脚光を浴びがちである一方、町内の学校の平和学習との連携はどのように語られているのか。3つは、行政の取り組みは首長の交代等で活動の未来に不安定要素を伴う。町民との不断の草の根の結びつきが重要となると思われるが、語りの中で意識されているのか。司会者としては、進行に手間取り後半の報告者には平等に発表時間を確保することができなかったことを反省としたい。(大城 道子)

3.第2分科会:「病い」を語るということ

 第2分科会では、さまざまな疾患をもつ人びとの生活世界に焦点を当てた4題のライフヒストリーが報告された。結婚前に自らの意志で優生手術を選択したアルビノの当事者、統合失調症の子とともに31年間を歩んできた母親、1970年代初頭に心臓ペースメーカーを植え込んだ女性たち、ハンセン病療養所で長年生活してきた入所者。発表者は当事者、医療者、研究者と立場はさまざまであったが、いずれも深い洞察力で切りこんだ発表であった。発表者は以下の通りである。

『優生手術経験の語り難さ:アルビノ当時者のライフストーリーから』(矢吹康夫:立教大学大学院)

『精神障害者の子を抱えて生きる、ある母親の生活史』(青木秀光:立命館大学大学院)

『1970年代初頭に心臓ペースメーカーを植え込んだ女性たちの働く事の難しさ』(小林久子:藍野大学)

『ハンセン病療養所におけるサバイバーズ・ ギルト』(木村知美:松山大学大学院)

 遺伝性疾患、慢性疾患、障がい、感染症といった疾患は、単に医療ケアの対象としてだけではなく、長い間、社会の偏見(stigma)と差別(discrimination)に晒されつづけてきた。このような歴史的文脈のなかで、生活者として「病い」を語ること、その語りに耳を傾け聴くこと、語りの意味を分析することは、決して容易な作業ではない。社会と病いの葛藤から距離を置いた研究者という立場に、安穏と居続けることができなくなってしまう。研究を深めるにつれて、差別と偏見を生み出してきた社会の一員としての関わりに研究者自身が直面することになるからである。また、当事者あるいは医療者として関わっている研究者は、自らの当事者性が問われ、あるいは医療者としての限界性を問われ、二重の負荷を担うことになる。「病い」を語るオーラル・ヒストリー研究とは、パンドラの匣を開いてしまう振舞いなのかもしれない。

 大会が開催された愛媛県松山市は、病いに臥せながら自己の身体と精神を写生した『病牀六尺』を書いた俳人正岡子規が育った土地でもある。この不思議なえにしを契機として、日本のオーラル・ヒストリーの発展のなかで、保健医療分野の研究が蓄積されていくことを期待したい。(中村安秀)

4.第3分科会

本分科会では、戦争の時代を生きた人々を対象とした若手研究者による四つの研究報告が行なわれた。いずれも時間をかけてインタビュー調査を重ねてきた厚みのある研究から得られた知見をそれぞれの切り口で報告する充実した内容であった。

 最初の発表、三田牧(日本学術振興会特別研究員)「記憶の合わせ鏡:日本統治下パラオにおける「他者」の記憶」は、日本統治下パラオで暮らした「日本人」(その半数は沖縄出身者。朝鮮、台湾の出身者も含まれていた)、パラオ人、その他のミクロネシア人が、日本内地人を頂点とする階層社会において互いの姿をどう見ていたかという観点から口述資料を整理して示した。

 2番目の森亜紀子(京都大学大学院)「委任統治領南洋諸島に暮らした沖縄出身移民:1910~1924年生まれの人々の経験に注目して」は、上記のパラオを含む「南洋群島」(ミクロネシアの島々に対する日本統治時代の総称)において主要労働力として積極的に招致された沖縄出身移民の口述資料から、南洋群島に暮らした沖縄出身移民の多様性と全体像を描き出そうとした。

 3番目の小林奈緒子(島根大学)「戦争体験の受容と地域社会:元兵士のオーラル・ヒストリーより」では、先の戦争において兵士として従軍し、戦後シベリヤに抑留され、中国の戦犯教育を受け、帰国後島根にて中国帰還者連絡会山陰支部の事務局を長く務めた人の口述資料から、当事者が受容した戦争体験がその後どう変化したのか、またそうした経験を、地域社会がどのように受け止めたのか、あるいは彼らが地域社会にどんな影響を与えたのかが報告された。

 最後の発表、木村豊(慶応大学大学院)「空襲で焼け出された人の戦後生活:都市から地方への移住をめぐって」では、北海道に渡った東京空襲被災者へのインタビュー調査をもとに、都市空襲被災者の地方移住と戦後生活、戦災と移住の記憶の現在について発表された。

戦後66年が過ぎ、戦争の時代を生きた人々から直接話を聞くことは難しくなりつつあるが、当時の若者、そして子どもだった人々への調査はなお大きな可能性を湛えていることが、本分科会の報告からはよくわかり、今こうした研究にとりくむことの重要さをフロア全体で確認、共有することができた。また、自由討論の時間を比較的多くとることができたため、フロアと発表者、また発表者間の質疑応答のみならず意見交換ができたのも収穫であった。それぞれの個の経験である口述資料を歴史的文脈の中でどう解釈してゆくかなどが話題となった。(河路由佳)
5.第4分科会

 本分科会は、ほかの分科会と比べてあまり統一が取れていたとは言えない。とはいえ、各報告は水準の高いものばかりで、多くのことを学ぶことができた。

 (1)酒井朋子(東北学院大学)「移行期社会における記憶と歴史――和平条約後の北アイルランドにおける」

 最初の報告者の酒井朋子氏は、長年北アイルランドの紛争をめぐる語りについて研究をされてきた研究者である。本報告は、「移行期社会」をキーワードにイギリス領北アイルランドに住み、長期紛争を経験した当事者たちのライフ・ストーリーを扱っている。とくに夫の殺害に関する妻の語りとその後何年もしてから明かされる真実をめぐる分析は強く印象に残った。トランスクリプションの分析におわらないで、生の語りを参加者に伝えるという方法は、わたしたちがあたかもインタビューの場にいるかのような臨場感あふれるものであった。たいへん力強く、また感銘的な報告であった。オーラルヒストリーにおいては、書かれた史料からでは見えてこなかった事実を明かすだけでは不十分で、そのときの語り口そのものを提示するということが一般的になってきていると思われるが、今後は語り自体をAV機器を使って再生するという方向に向かうことになるのであろうか。

(2)水谷尚子(中央大学兼任講師)「在外ウイグル人への口述史収集をめぐる諸問題:中国新疆からの政治亡命者・経済移民者を訊ねて」

 本報告は、予定されている報告の前編ということで、ウイグル人とはだれか、というきわめて根本的な問いから始まった。彼らは20世紀前半に幾度か独立国家建設を試みるが、現在は中国領域内の「少数民族」と位置付けられている。水谷氏はここ数年、中国政府と対立し政治亡命したウイグル人を訪ね、中央アジアやトルコ、欧米などで口述史収集調査を行っている。本報告はそのような収集をめぐる問題やデータについてのたいへん力強い報告であった。政治的に周縁化されて世界中に散った人々に会い、かれらの歴史を丹念に掘り起こすというオーラルヒストリーの原点を思い起させる報告であった。

(3)吹原豊(福岡女子大学)「滞日インドネシア人社会の成立と現況:当時者および関与者の語りを中心に」

 吹原氏の報告は 茨城県の大洗町に住む、400人近いインドネシア人が対象である。かれらは1992年からこの町に流入し、研修生を中心とする中国人労働者と勢力を2分している。ほとんどはインドネシア・スラウェシ島北部出身者であり、吹原氏自身、当地での長期滞在経験があるため、大洗町に住むインドネシア人の世界を、歴史的かつ空間的に描くことに成功していた。今後の移民研究の範ともなる発表であった。暴力や弾圧が主題であった酒井報告や水谷報告のときと異なり、会場は笑いに包まれていた。

 (4)山口裕子(一橋大学大学院)「歴史語りの「真実さ」をめぐって:インドネシア東部の小地域社会における複数の対抗的な「ブトン王国史」」

山口氏の報告は、旧ブトン王国領における地位の異なる二つの村落の人たちが語る王国史についての分析である。ひとつは王族貴族の子孫から、もうひとつは平民からなる村である。前者の語りは政府から公定史として承認され、正統な歴史として位置づけられている。これに対し平民たちは自村こそが王国の起源地だという「真実の歴史」を語る。山口氏は、実証主義的な手法で「真の歴史」を求めたり、反対に両者の歴史を言説として認めたうえでその差異を論じたりするという方法から距離をおいて、語る文脈となる人々の生活世界を考慮することを主張する。この報告もまたオーラルヒストリーのこれからの方向を示唆するものとして評価したい。(田中雅一)

6.第5分科会

第5分科会では、5つの報告と白熱した質疑応答が展開された。日本語訳書が公刊されたばかりのV.Yow著『オーラルヒストリーの理論と実践』(インターブックス社)の論点を引きつつ、司会者が前もって提示したのは、オーラルヒストリーの次の特徴である。オーラルヒストリーは、語りを聞きとって研究を深める方法的営為でありながら同時に、そうして収集した記録そのものがアーカイブとしての価値を持っている。5つの報告を横断する論点として、記録を公開するときの範囲(特定研究者⇔ウェブ上)、記録を残す目的、対象範囲 (過去⇔現在)が最終討論の対象となった。

青木麻衣子氏(北海道大学)・伊藤義人氏(藤女子大学)による第1報告は、現地調査に基づく「オーストラリア木曜島の最後の日本人ダイバー藤井富太郎」である。戦後の現地日本人の強制帰国のため、木曜島の先行研究には空白が生じている。戦前・戦後を架橋して日系二世にあたる子孫のオーラルヒストリーから、個人史と全体の歴史との両方に焦点を当てた報告がなされた。

第1報告は、金森敏氏(松山大学非常勤講師)による「女性社内企業家の語り」である。報告者は、これまで「英雄物語」に近かった社内企業家のモデルストーリーに対して、モデルストーリーの「構え」に着目して、その変化、抵抗する語りを析出した。これは、経営学において一般化と特殊事例をどのように扱うか等の論点とも関連する。成功例・失敗例など、経営学においてオーラスヒストリー(アーカイブズ)を残す意義が議論となった。

第3報告は、新井かおり氏(立教大学大学院)による「アイヌの歴史はどのように書かれねばならなかったか?」である。1960年代後半まで、アイヌは、客体化された過去となり、滅びゆく者としての倭人の世界観の範疇から抜け出るものではなかった。これに対して、1970年代以降のアイヌの権利回復を目指す運動の当事者の一人として、アイヌ自身の声やその他の1次資料を収集したのが、貝澤正『二風谷』(にぶたに)である。(貝澤家文書の整理・調査に当たった)報告者による長期の聞き取りに裏打ちされた情報提供者への深い配慮と慎重な姿勢、またそこから垣間見える「生々しい声」には、強いインパクトが感じられた。

第4報告は、川又俊則氏(鈴鹿短期大学)「男性養護教諭へのインタビューとアーカイヴをめぐって」である。まず、いわゆるピンクカラー職業のなかの男性、「元」養護教諭を対象とした点をめぐって、討論が広がった。ジェンダーの観点からは啓蒙的な研究、マイノリティとしての男性養護教諭の観点からはナレッジマネジメントのような研究として意義深く、興味深い着眼点である。また、調査のアーカイブ化についての戦略が議論となった。

第5報告は、塚田守氏(椙山女学園大学)による「個人のホームページ上でのライフストーリーのアーカイヴ化の可能性」である。報告者は、ロバート・アトキンソン氏が1988年に設立したライフストーリーセンターをモデルに、ライフストーリー文庫~きのうの私~を代表として運営している。(1)「人生の物語」の収集・一般公開によって、何かを感じ、学ぶ機会を提供する。(2)様々な人々が自分の「人生の物語」を書くきっかけとなる。(3)研究者によるライフストーリー研究の交流の場となる、という三点を目的として掲げている。編集方法や運営等の舞台裏が惜しみなく情報提供され、フロアを交えた議論が尽くされた。(安倍尚紀)
7.研究実践交流会

今回の研究実践交流会は、「オーラル・ヒストリーをいかに作品化していくか?」と題して、参加者の経験や意見の率直な交流を重視した参加型でおこなった。

JOHA年次大会は今回で第9回を迎え、来年は第10回という節目を迎えることになる。その間、オーラル・ヒストリー研究は、生活史研究やライフストーリー研究、ナラティブ論、言説分析などといった質的調査研究の議論と重なり合いながら、声の複数性や文脈性、語り手と聞き手の共同制作性(相互行為性)や聞き手(調査研究者)の立場性、語りの現在性やそれを限界づける語りえなさの問題など、認識論的・方法論的議論が一定程度蓄積されてきた。

しかしながら、それらを生かした記述や作品化のしかたという点では、個々に悩みながら試行錯誤している状態で、真正面から議論したり、率直に意見交流をする場が意外に設けられてこなかったように思う。また一部では、認識論的・方法論的議論ばかりをくりかえし問うことが、結果的に「閉塞感」につながってはいないかという声も聞かれるようにもなった。肝心の羊羹をおいしく切って味わいたいのに、切るナイフばかり研いでいても先には進めない。そこで、具体的に羊羹を切っていくうえでの、つまり作品化するうえでの悩みや葛藤などを吐露し、共有し、どうすればよいかをセルフヘルプ的に考える場をもとうではないか、というのが今回の研究実践交流会のねらいであった。

会ではまず、学術論文色のもっとも強い博士論文「戦後日本社会における被爆者の『生きられた経験』――ライフストーリー研究の見地から」を書き上げたばかりの八木良広さんと、4年前に博士論文を『ひきこもりの〈ゴール〉――「就労」でもなく「対人関係」でもなく』(青弓社)として書籍化され、さらに次回作の刊行を模索されている石川良子さんに、上記の意見交流や議論の口火として短い話題提供をしていただいた。

八木さんからは、博士論文はあくまで学術的な論文スタイルをとる必要があるが、論文調では対象者のライフを適切に表現できないと思い、執筆時には読み物風の文体も意識したこと。自分自身が漸次作品化していくなかで発見し気づいていったプロセスをも入れ込むために、これまで作品化した個々の論文を連結させるのではなく改めて書き下ろしたこと。それらの経験から、さまざまさ制度上の制約があるなかで、業績づくりのためではなく、対象者のライフを厚く記述していくためにはどうすればよいのかといった問題提起がなされた。

石川さんからは、発信することが研究者の役目であり、「読んでもらってなんぼ」ではないか。その際、誰に読んでもらいたいか、いつ出版するか、どう書くか等が鋭く問われてくること。読み物風じゃないと書けないことがあり、そこにもっと積極的な学問的意味があるのではないか、そしてそれをちゃんと書かなければならないのではないか。つまるところ、自分にとって学問するとはどういうことなのかを抜きには発信できないといったことなど、「社会のなかのオーラル・ヒストリー」にかかわる問題提起がなされた。

その後、6つのグループに分かれて、話題提供者のお二人から提示された悩みや課題・考えていることを触媒にして、参加者自身が抱えている悩みや課題・考えを吐露したり、あるいはそれに対して創意工夫したことなどを新たに付け加え、経験談なども交えながら、どうすればよいかを話し合う時間をもった。そして、それぞれのグループでどんな意見が出たか、グループごとに発表していただき、参加者全体で共有した。

オーラル・ヒストリーは誰のものなのか。経験を位置づけるのに大きな物語・理論的枠組みはいらないのか。読まれることは大事だが「消費」されてしまってよいのか。オーラル・ヒストリーはスキマ産業であり、スキマ産業ならではの強みが学問のありかたを揺り動かしていくのではないか。技術的なところで対抗するのではなく、資料の「無」をどう扱うかなどオーラル・ヒストリーの実質的なところで対抗すべきではないか。他方で、査読に通るように書かなければならない我々院生は?等々といった率直な意見が次々に出され、「いかに学術的であるか」というところで悩んでいる人がこんなに多いとは!といった感想も出た。

学問・学術とは何なのかといった根本的なところまでさかのぼり、自由闊達な本音の議論がなされ、またそれがセルフヘルプ的なコミュニケーションを展開させることになったように思う。このような、参加者が個人的な課題などを気軽に話し合い、多くの参加者の声を出していく研究実践交流会のような場は、オーラル・ヒストリーという学問の足場を築いていくために、今後ますます重要になっていくのではないかと強く感じた。(小倉康嗣)

8.シンポジウム

 四国で初めて開催される大会ということで、四国遍路をテーマにオーラル・ヒストリーとの接点を探るシンポジウムを行いました。

まず愛媛大学の「四国遍路と世界の巡礼研究会」の代表を長年務められた内田九州男先生に現在の遍路のスタイルの歴史的な定着過程について実証的に説明してもらい、次に大阪大学の川村邦光先生に、ゼミ生と一緒に四国遍路を行った経験にもとづいて、生者と死者との語らいという遍路の一面について報告してもらいました。本学会の小林多寿子先生からはアメリカの日系インターンメントの収容所を巡るピルグリメージと四国遍路の共通性と違いについて報告をいただきました。

その後、元会長の清水透先生から、マウンテンバイクによる四国遍路を行った経験から、明確に言語化できない宗教的体験として、四国遍路の意味づけがありました。本学会の川又俊則先生からは、各報告者について非常にていねいな要約とコメントがありました。

結論として、確かに伝統となり習慣化した遍路の中にも、個人的体験と宗教性をつなぐ何らかの超越的な回路があることが示唆され、実り多いシンポジウムであったと評価できます。(山田富秋)