JOHAニュースレター第17号

日本オーラル・ヒストリー学会第7回大会
盛況のうちに閉幕
 「日本オーラル・ヒストリー学会第7回大会」は、2009年9月12日(土)、13日(日)の両日にわたって北星学園大学で開催されました。二つの分科会と研究実践交流会では、いずれも活発な報告や議論が交わされました。大会2日目、午後からは「アイヌのオーラル・トラディション」と題するシンポジウムが開かれ、アイヌの方々の語りや歌をとおして、北海道ならでのオーラルな文化や歴史を考える絶好の機会となりました。また、パフォーマンスでもオーラルなライフストーリーと歌を通してアイヌ文化の豊かなオーラル・トラディションを十二分に堪能させていただいた大変有意義で貴重な大会となりました。
 来年度の年次大会は、2010年9月に立教大学で開催される予定です。会員のみなさまの報告申し込みをお待ちしております(「お知らせ」をご覧ください)。


【目次】
(1) 第7回年次大会報告
1.第7回大会を終えて
2.第1分科会
3.第2分科会
4.シンポジウム
5.パフォーマンス
6.研究実践交流会
(2) 第6回総会
1.2008年度事業報告
2.2008年度決算報告
3.2008年度会計監査報告
4.2009~10年度理事会構成
5.2009年度事業計画
6.2009年度予算
(3) 理事会報告
(4) ワークショップのご案内
(5) お知らせ
1.第8回大会について
2.第6号投降募集 
3.国際交流委員会から
4.会計より
5.会員異動 


(1) 第7回大会報告

1.第7回大会を終えて
吉田 かよ子(北星学園大学)
 200
9年9月12日(土)、13日(日)の両日、第7回大会が札幌の北星学園大学を会場に開催された。関東に会員が集中しているJOHAでは、遠隔地である北海道での大会ということで会員による研究発表数の減少を懸念したが、大会第一日の第一分科会、第二日の第二分科会で多岐にわたるテーマでの多くの興味深い発表がなされ、年次大会に発表の場を求める会員諸氏の熱意を感じることができた。
 北海道での大会開催ということで、第一日目のシンポジウム&パフォーマンスは「アイヌのオーラル・トラディション」いうテーマで行われた。アイヌ民族の方々6名を招き、その豊かな口承の文化、歴史を自らの体験として自らの言葉で語り、あるいは歌っていただき、短時間ではあったが参加者全員が多くを学んだシンポジウムになったと思う。第一日夕刻より学内で行われた懇親会では、パフォーマンスのゲストであった遠山サキさん、堀悦子さん母娘のムックリ演奏や歌に合わせて参加者が輪踊りを楽しむなど、交流の時間が続いた。
 大会開催に当たって、北海道在住のJOHA会員が精一杯準備に努め、大会のスムーズな進行に心を砕いた。新会員も獲得することができ、小さいながらも地域支部活動を立ち上げられる数になったことも、地域のオーラルな伝統の発見と同時に、地方で大会を開催することの大きな利点と言えよう。JOHA会長、事務局長、理事の方々、会員の皆様のご協力に心よりの感謝を申し上げたい。

2.第一分科会
 本分科会では当初3名の報告を予定していたが、鄭京姫報告は本人の欠席により行われなかった。第一報告者の郷崇倫は,日系史と日本史をつなぐ試みとしてのオーラルヒストリーの可能性を台湾系日本人(「ハパ」)としての自分史と重ねあわせながら報告した。具体的には、1950年代にカリフォルニア州のオレンジ郡に群馬県から派遣された短期農業実習生(派米農業研修生)と彼らの雇用者の帰米二世三宅明美氏のオーラルヒストリーインタビューが紹介された。内容の分析は時間の関係上十分にはおこなわれなかったが、それよりも、オーラルヒストリーという手法が歴史的に切断されてきた日本人と日系アメリカ人を結びつける「きっかけ」になるのではないかというアメリカのオーラルヒストリー・プロジェクトでよくみられる社会運動論的な報告が大変興味深かった。第二報告者の藤井大亮は、学校教育におけるオーラルヒストリー・プロジェクトの草分け的存在(1966年から)とされるジョージア州のFoxfireプロジェクトの刊行物の内容分析を行った。記事内容の歴史的変遷を丁寧に分析することにより、40年の時をへて、オーラルヒストリーの内容が口承文明の文字化という特徴から、すでに文字記録をもつ集団の家族史・個人史へ変化してきたことが立証された。社会変動というプロジェクト外の要因と、教師の資質や専門性、指導・支援のあり方、生徒の属性という内部的要因との関係については今後の研究が待たれる。(滝田 祥子)

3.第二分科会
 小林久子「心臓ペースメーカーと共に生きる、ある女性の生活史」インタビューに応じた語り手は、1960年代に完全房室ブロック治療のため日本製ペースメーカー第一号を装着し、装着期間が世界最長に達する人である。語り手の43年間の軌道を簡潔なわかりやすいグラフに落として報告された。心臓ペースメーカー装着者の困難体験が、妊娠、出産、夫をはじめとする家族の対応、器械の不具合、医師の対応などに関連付けてリアルに語られた。器械のトラブルごとの不安が精神を追い詰めることが多かったが、器械が改良されるのに比例して落ち着く様子が理解できた。
 木村一枝「KEK最初の10年:名古屋大学の共同研究者とのインタビューを通して」高エネルギー物理学研究所は1971年につくば市に創設された最初の大学共同利用機関であり、日本の素粒子物理学の中枢研究機関である。そのなかで、KEK:高エネルギー加速器研究機構の最初の十年の聞き取りは研究者集団の性格をよくあらわしている。平等で民主的な雰囲気、日本は貧しく、十分な実験費用はなくとも実験装置を自力で作るという気概、おおらかな関係のなかにも最先端をめざす機運などか語られた。
 深谷直弘「原爆の記憶の継承と若者の平和活動:高校生一万人署名活動参加者の聞き取りから」近年、戦争体験を語り継ごうという実践や活動があらゆる集団で行われている。この活動の参加者は若者であり自身は被爆体験をしていない。彼らにとってはいろいろなボランティアのひとつとして選択された活動である。しかし、原爆の痕跡は記念の場所などが日常生活にあり、過去が想起される環境である。また、彼らの活動継続を推進する要因として、広島ではなく長崎であること。その対抗関係が重要であるとの報告がなされた。
 八木良広「語り部としての被爆者:家族との歩み」語り部としての増田さんは、その語りを家族や親族への頻繁な言及とともに時系列に沿って行う。被爆者団体の東友会に早くから入会していたが、夫の反対で活動していなかった。しかし、その夫が癌で亡くなってから、他の被爆者の語りに遭遇してみずからも