JOHA9 第1分科会要旨

(1)張嵐(日本学術振興会外国人特別研究員)・桜井厚(立教大学)
戦争体験を語る・伝えるという実践
 敗戦後65年余が経過し、日本では戦争の実体験を持たない人びとがほとんどとなる。しかし、戦争体験の記憶を風化させまいとする活動は、さまざまな形で行われている。ここでは、日常の場で求められて戦争体験を子どもたちや身近な人びとに語っている人びとに注目する。かれらの体験は満州での兵士体験であったり、子どもの頃の空襲体験であったりするが、それをどのように今日、戦争を知らない世代に語ろうとしているのか。本報告は、個人的記録(日記、手紙、自分史、写真など)を補助的に用い、戦時を中心にその前後を含めた歴史的出来事を体験した人びとの語りをもとに、戦争を知らない私たちに伝える実践に焦点を当てる。かれらが今、戦争体験の何をどのように語っているのか、さらに、何を伝えようとしているのか、について考察する。

(2)桜井厚(立教大学)
戦争体験を語り継ぐ――沖縄県南風原町の実践から
 沖縄県南風原町は、太平洋戦争時には重要な軍事的拠点とされ沖縄戦では住民の42%もの人が犠牲となった。南風原町は、戦後いち早く「非核平和の町」宣言をし、「南風原陸軍病院壕」を戦争遺跡として全国発の町文化財に指定(1990)したり、町内の戦争体験を収集する戦災調査、南風原文化センター常設展示や平和学習事業の取り組み、また平和ガイドの育成などをとおして、住民と一体になって戦争体験を継承する活動を精力的に行ってきた。これらの活動にかかわる町職員や平和ガイド参加者の語りをもとに戦争体験を語り継ぐ実践の意味を南風原のローカルな世界と関連づけて報告する。

(3)石川良子(日本学術振興会特別研究員)
「南風原平和ガイドの会」の実践
 「南風原平和ガイドの会」は、2007年に一般公開された南風原陸軍病院壕20号壕の管理・案内のために結成された。2009年にNPO法人化されてからは町内全体にガイドの範囲を広げ、字ごとのマップ作りや「総合ガイド」の養成に取り組んでいる。まず、このような事業方針を打ち出した経緯・背景を、ある中核メンバーの語りから明らかにする。この人は「たとえ壕があっても人が集まってこなければ平和ガイドは成立しない」と考えているようだが、沖縄戦を語り継ぐという実践にとって「まちづくり」という視点を取り入れることは、単なる人集め以上の意味を持ちうるのではないか。このことを他のメンバーの語りも交えて考察する。

(4)八木良広(小田原看護専門学校)
沖縄戦の「死」の語り伝え
 沖縄県では、66年経た現在に置いても人びとの生活圏から不発弾だけでなく遺骨が頻繁に出土される。南風原町においても出土されるのは各壕の発掘調査時や公園整備の際など時と場合を問わない。掘り出されるのはその人の最期の瞬間そのままの「死」(北村毅)である。一般的には、「死」の発見は、困難であるものの身元の特定やその後の遺族の割り出しにつながり、実際取り組んでいる団体や個人は存在するが、語り伝えるという文脈で「死」の意味を捉えようとする試みがある。それはどういうものであろうか。報告では、対象者の語りからその内容を明らかにするとともに、「死」をめぐる現代的状況についても見ていく。