JOHAニュースレター20号

 日本オーラル・ヒストリー学会第9回研究大会(JOHA9)が、2011年9月10日(土)、11日(日)の二日間にわたって、松山大学において開催されます。みなさま、お誘い合わせのうえ、ふるってご参加ください。

【目次】
(1) 第9回年次大会
1.大会プログラム
2.自由報告要旨
(2) 第17回国際オーラル・ヒストリー学会への参加を!
(3) 本年度ワークショップ「オーラル・ヒストリー・フォーラム」スタートしました!
(4) 理事会報告
(5) 事務局便り
1.会員異動
2.2011年度会費納入のお願い

(1) 日本オーラル・ヒストリー学会第9回大会

1.大会プログラム

http://joha.jp/?eid=174

2.自由報告要旨

第1分科会
(1)張嵐(日本学術振興会外国人特別研究員)・桜井厚(立教大学)
戦争体験を語る・伝えるという実践
 敗戦後65年余が経過し、日本では戦争の実体験を持たない人びとがほとんどとなる。しかし、戦争体験の記憶を風化させまいとする活動は、さまざまな形で行われている。ここでは、日常の場で求められて戦争体験を子どもたちや身近な人びとに語っている人びとに注目する。かれらの体験は満州での兵士体験であったり、子どもの頃の空襲体験であったりするが、それをどのように今日、戦争を知らない世代に語ろうとしているのか。本報告は、個人的記録(日記、手紙、自分史、写真など)を補助的に用い、戦時を中心にその前後を含めた歴史的出来事を体験した人びとの語りをもとに、戦争を知らない私たちに伝える実践に焦点を当てる。かれらが今、戦争体験の何をどのように語っているのか、さらに、何を伝えようとしているのか、について考察する。

(2)桜井厚(立教大学)
戦争体験を語り継ぐ――沖縄県南風原町の実践から
 沖縄県南風原町は、太平洋戦争時には重要な軍事的拠点とされ沖縄戦では住民の42%もの人が犠牲となった。南風原町は、戦後いち早く「非核平和の町」宣言をし、「南風原陸軍病院壕」を戦争遺跡として全国発の町文化財に指定(1990)したり、町内の戦争体験を収集する戦災調査、南風原文化センター常設展示や平和学習事業の取り組み、また平和ガイドの育成などをとおして、住民と一体になって戦争体験を継承する活動を精力的に行ってきた。これらの活動にかかわる町職員や平和ガイド参加者の語りをもとに戦争体験を語り継ぐ実践の意味を南風原のローカルな世界と関連づけて報告する。

(3)石川良子(日本学術振興会特別研究員)
「南風原平和ガイドの会」の実践
 「南風原平和ガイドの会」は、2007年に一般公開された南風原陸軍病院壕20号壕の管理・案内のために結成された。2009年にNPO法人化されてからは町内全体にガイドの範囲を広げ、字ごとのマップ作りや「総合ガイド」の養成に取り組んでいる。まず、このような事業方針を打ち出した経緯・背景を、ある中核メンバーの語りから明らかにする。この人は「たとえ壕があっても人が集まってこなければ平和ガイドは成立しない」と考えているようだが、沖縄戦を語り継ぐという実践にとって「まちづくり」という視点を取り入れることは、単なる人集め以上の意味を持ちうるのではないか。このことを他のメンバーの語りも交えて考察する。

(4)八木良広(小田原看護専門学校)
沖縄戦の「死」の語り伝え
 沖縄県では、66年経た現在に置いても人びとの生活圏から不発弾だけでなく遺骨が頻繁に出土される。南風原町においても出土されるのは各壕の発掘調査時や公園整備の際など時と場合を問わない。掘り出されるのはその人の最期の瞬間そのままの「死」(北村毅)である。一般的には、「死」の発見は、困難であるものの身元の特定やその後の遺族の割り出しにつながり、実際取り組んでいる団体や個人は存在するが、語り伝えるという文脈で「死」の意味を捉えようとする試みがある。それはどういうものであろうか。報告では、対象者の語りからその内容を明らかにするとともに、「死」をめぐる現代的状況についても見ていく。

第2分科会
(1)矢吹康夫(立教大学大学院)
優生手術経験の語り難さ:アルビノ当時者のライフストーリーから
 アルビノとは全身のメラニン色素を作れない常染色体务性の遺伝疾患である。私が継続しているアルビノ当事者へのインタビュー調査では、問題経験を聞きたがっている調査者のストーリーが相対化され、「困ったことはなかった」「差別されたことはない」という語りにたびたび出くわす。 しかし一方で、結婚や出産の話題になると、「やっぱり」という言葉に続けて否定的な経験が語られることがある。そこでは、全体主義的で強制的な旧来の優生学は明確に否定されるが、かといって自発的で個人本意の修正優生学に対しては容認とも否認ともとれない曖昧な語りが展開される。本報告では、結婚前に自らの意志で優生手術を選択したアルビノ当事者(70代・男性)のライフストーリーを主に検討し、優生手術経験の語り難さを確認するとともに、既存の優生学的言説に回収されないような新しい語りの可能性を模索したい。

(2)青木秀光(立命館大学大学院)
精神障害者の子を抱えて生きる、ある母親の生活史
 精神障害者の子を持つ親は、様々な苦悩とともに生きている。精神疾患(特に統合失調症)は青年期に好発する。親たちは、子どもが将来巣立ち、第2 の人生を考え始める時期にある。そのような時期に、自らの子が精神疾患を発症するところに中途障害の困難さがある。また、精神疾患発症時の知識のなさ、症状の不可解性、周囲を含む自らの偏見、親亡き後の不安、これまでの子育てへの後悔、等々多くの負荷要因も存在する。そのなかで生きる家族は、どのような思いで日々を生活しているのだろうか。本報告では、統合失調症の子とともに31年間歩んできた、ある母親のライフストリーを提示することで、彼女の主観的意味世界に接近することを目的とする。

(3)小林久子(藍野大学)
1970年代初頭に心臓ペースメーカーを植え込んだ女性たちの働く事の難しさ
 近年、心臓ペースメーカーの社会的認知は高く、公共の場での電磁波障害にも配慮がある。障害者1級の承認は、医療費免除の社会的恩恵を受けている。しかし、1970年代初頭の日本で、「障害者手帳をもったら、嫁にも行けない」と医師に言われた3人の女性たちは、病気を隠して働き、病気が発覚して解雇され、2年毎の器械の電池交換と同時に転職するという歴史を生きてきた。彼女らが仕事を通して抱いた“みじめさ”と“後ろめたさ”の思いは、医療を取り巻く社会の変化によって、今に語り継がれることはない。そこで、当時