「日英交流セミナー」トークセミナー Anglo-Japanese Relations 1941-75: The POW Issue and Economic Tensions「第二次大戦の影響:イギリス人捕虜問題と経済摩擦~ 真珠湾攻撃から1971年女王訪日~」

日時:7月30日午後2時~4時半、 その後、懇親会の予定 ~後楽園
場所:禁酒会館 セミナールーム (岡山駅から市電で5分、100円、城下で下車)
            http://ww61.tiki.ne.jp/~kinsyukaikan/
 スピーカー・
 ロンドン経済大学、(ロンドン・スクールオブ・エコノミクス)
 アントニー・ベスト博士 (上級講師・~准教授くらいです~)
 コメンテーター・通訳(松本佐保、名古屋市立大学)
 ディスカサント(中尾知代 岡山大学社会文化科学研究科、捕虜問題・戦争トラウマ研究)
 
連絡先は、「岡山大学・中尾」oralhistory.nakao[at]gmail.com
 
 解説:
 アメリカとの戦争は覚えている日本人ですが「鬼畜米英」の英国は日本の重要な敵国でした。
 戦後、英国人たちは、どのような思いを日本に抱き、どのような影響を、日英関係に及ぼしたのでしょうか。早ううsくから始まりました。
1971年の天皇訪欧の際に、オランダ人元抑留者が卵を投げつけたことは、日本にはほとんど報道されませんでした。ウィリアム王子結婚式で華やかに映った場所には、当時、軍人たちがずらりと並び、氷のように沈黙して黙って立って見送りました。
 
 日本軍につかまった捕虜たちは、5万人ほどですが、オーストラリアやニュージーランド、また、広範囲の植民地にいた民間人で抑留された人々をいれると、かなりの数にのぼります。  『戦場にかける橋』や『戦場のメリークリスマス』は捕虜を扱っています。
 また、スピルバーグ監督の『太陽の帝国』は英国人民間抑留者の映画だし、『炎のランナー』の敬虔な若者のモデルは日本軍抑留所で亡くなりました。英国では、日本に対するかなりの反発心が、戦後に残っていたのです。
 
 今回は、近現代史で、丹念に外交史や交流史をたどってきたアントニー・ベスト博士をお招きし、戦後に、捕虜たちが与えた日英関係、とくに経済関係への影響を、議会の議事録や歴史史料を元に、西の島国と東の島国にもたらした、第二次大戦の捕虜問題について、解説していただきます。 ぜひ、お越しください。
 
 なお、講演後、継続の質問をかねて、近くで食事をした後、夜の後楽園をご覧にいれる予定です。ご一緒される方は、どうぞ。

 連絡先:oralhistory.nakao[at]gmail.com 中尾