JOHAニュースレター第14号

第6回日本オーラル・ヒストリー学会年次大会 盛況のうちに閉幕
 「第6回日本オーラル・ヒストリー学会大会」は、10月11日(土)、12日(日)の両日にわたって慶応義塾大学三田キャンパスで開催されました。4分科会と実践交流会では、いずれも活発な報告や議論が交わされました。大会2日目、午後からは「オーラルヒストリーと<和解>」と題するシンポジウムが開かれ、グアテマラでの大量虐殺事件や満州移民、差別問題を素材として、熱心な討議が繰り広げられました。なお、大会を通しての参加者は100名を越えています。
 来年度の年次大会は、2009年9月に北海学園大学で開催される予定です。会員のみなさまの報告申し込みをお待ちしております(「お知らせ」をご覧ください)。

【目次】
(1) 第6回年次大会報告
1.第6回大会を終えて
2.第1分科会
3.第2分科会
4.第3分科会
5.第4分科会
6.研究実践交流会
7.第6回大会概要(英文)
8.大会に参加して

(2) 国際オーラル・ヒストリー学会に参加して

(3) 第5回総会
1.2007年度事業報告
2.2007年度予算案訂正
3.2007年度決算報告
4.2007年度会計監査報告
5.2008~09年度理事会構成
6.2008年度事業計画
7.2008年度予算
8.会則及び理事選挙規程の改定

(4) 第5回理事会報告

(5) ワークショップのご案内

(6) お知らせ
1.第7回大会について
2.会計から
3.第5号投稿募集
4.会員異動

(1) 第6回年次大会報告

1.第6回大会を終えて 有末賢(慶應義塾大学)
 10月11日(土)と12日(日)の両日、慶應義塾大学・三田キャンパスにおいて、日本オーラル・ヒストリー学会第6回大会が開催されました。11日午前中は、少し雨が降りましたが、大会が始まってからは天候にも恵まれ、2日間で延べ90名ほどの参加者がありました。自由報告部会は4部会、計18人の報告者で、それぞれの会場で活発な議論が展開されました。初日の研究実践交流会「オーラル・ヒストリー史料の収集、保存、公開」にも多くの方々が参加されて、各自の貴重なオーラル・ヒストリー調査や史料について研究の交流が行われました。また、2日目の午後にはシンポジウム「オーラル・ヒストリーと<和解>」というテーマで、興味深い報告や討論が展開されました。
 今までの学会大会においては、「オーラル・ヒストリー」という用語や概念、研究の方法や分析の意義、歴史学における意味、社会学・人類学における意味など、日本において「産声」を上げた学会の存在意義を主にアッピールしてきました。そのことは、学会を立ち上げた以上、必要でもあり、重要でした。しかし、今回の第6回大会においては、単に外側に対してのアッピールだけではなくて、オーラル・ヒストリーを研究するわれわれ自身にとって、オーラル・ヒストリーとは何なのか? 戦争や紛争、病気や死別など生身の人間たちの「声」を集めていくことと、話すこと、聞くことを通して、何が生み出されてくるのか、といった実質的な議論に入ることが課題であると認識しました。そこから、「オーラル・ヒストリーと<和解>」というシンポジウムのテーマが、開催校理事である清水透先生から提案されました。司会と討論者を務めたわれわれの意を十分に汲み取っていただいた3人の報告者の方々は、それぞれの調査実践の現場で経験されてきたオーラル・ヒストリーと<和解>という課題について、実験的な報告がなされました。もちろん、虐殺や差別の問題、「死と死別」など「和解などあり得ない」という立場もあるでしょう。その意味で、「和解」など存在しないという立場も認め、含めることで、<和解>という表現を使用しました。<和解>はある意味で、永遠の課題ですし、いつまでも問い続けるしかないのかもしれません。オーラル・ヒストリーは、単なる資料の問題でもないし、歴史記述の問題だけでもありません。一見「唐突」に見えるかもしれませんが、<和解>という人間の根源的問題とかかわっていることを問題提起しようと思ったわけです。
 慶應義塾大学は1858(安政5)年、福澤諭吉による小さな蘭学塾から始まって、今年(2008年)で創立150年を迎えました。三田に塾を移したのは10年後の明治維新の時でしたが、その歴史のあるキャンパスで第6回大会が開催されたことも意味のあることだと思っています。ただし、塾内には学会会員も少なく、充分な大会準備やきめ細かいご案内ができなかったことをお詫びいたします。マイクや機械の整備などにおいても不都合が生じ、皆様に大変ご迷惑をおかけしました。最後に準備から受付、進行、後片付けにいたるまで担っていただいた若い大学院生や会員の皆様、本当にどうもありがとうございました。会長以下理事の皆様方にもお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。

2.第1分科会:「<戦争体験>とオーラル・ヒストリー」
 第一報告 木村豊「東京大空襲の記憶に関する一考察―1945年3月10日を生きた家族への聞き取り調査からー」では、東京大空襲に関するマスター・ナラティブの不在であるという認識に立ち、空襲遺族会の一つの家族にインタビュー調査を行い、大空襲の記憶がどのように継承されているかを読み解こうとした。いままでの戦争体験の被害者たちの記憶の継承という時には、その空襲をどのように逃げ回ったかなどの体験の語りが主であったが、発表では家族という「私的な空間」の中で、<戦争体験>がいかに捉えられ継承さ、それぞれの人生にどのような意味を持っていたかを解明しようとした点がユニークであった。東京大空襲を継承することの重要性が近年言われている時に、新しい視点から空襲体験の記憶を掘り起こす発表であった。
 第二報告 八木良広「沖縄線を語り継ぐ(1)オーラル・ヒストリー実践としての沖縄線研究」では、沖縄戦についての実証研究をしている石原昌家氏にインタビューし、沖縄戦の記憶をどのように解釈するかについて発表された。事実と真実を見分ける方法が重要であると述べられ、証言を振るいにかける必要性が指摘された。また、事実は必ずしも真実ではないことなどが、「集団自決」をめぐる証言について、当時の駐在巡査の発言と他の住民の証言との関係性について言及され論じられた。そのように論じる時には、<戦争体験>の語り手の立ち位置も問題が重要であると指摘された。
 第三報告 石川良子「沖縄戦を語り継ぐ(2)-「戦争」と「日常」をつなぐ」では、平和活動に参加する学生たちにインタビューを試み、戦争体験を持たない現代若者がどのように戦争体験を語り継ご
うとしているのかについて発表した。沖縄国際大学の近くで起きた「ヘリ事件」(「事故」とは呼ばない)をきっかけに、平和の重要さを実感し、「笑顔で生きたい」という平和活動「スマイルライフ」の活動として、平和ガイドとしている若者たち。その若者たちにとっては、平和活動を特別なものと見なすプロの活動家とは違う、大学生たちの、自分たちの身近にある問題から発展したこのような活動の今後の可能性に論じられた。
 第四報告「沖縄戦を語り継ぐ(3)-戦争体験の表象方法」では、戦争体験を継承する難しさとして、体験者の「特権性」の存在があり、また、語り継ぐ人々は体験の特権性を強調し、体験者をヒーロー化する傾向があることが指摘された。その批判に基づき、どのような<戦争体験>の語り継ぎの方法があるかを、南風原文化センターへのフィールド調査に基づき発表している。このセンターの遺品の展示の仕方に見られる「作品化」により、見学者が体験に直接関わる工夫などがあるという点が説明された。また、語り部を観察する説明員と来館者との相互作用という「対話」を通して語りが継承されるなどの例が指摘された。時間が限られていたものの、部会の後でも活発な質疑応答があった。<戦争体験>の語りの継承の仕方について、幽霊話などのようにファンタジー化するなどの方法もあるのではないかなどの指摘。また、事実と真実の違いをどのように検証するのかなどの議論も展開された。(塚田 守)

3.第2分科会:「オーラル・ヒストリーの多様な展開」
 第2分科会は4人の報告者による興味深い報告が並び、テーマはそれぞれ異なるもののオーラル・ヒストリー研究の幅広さとおもしろさを示してくれる分科会となった。第一報告者の小林奈緒子氏(島根大学図書館)は「運動史におけるオーラル・ヒストリー研究の有効性」と題して長崎被爆者運動史における戦災者組織とその活動をめぐるオーラル・ヒストリー調査を紹介された。「戦争体験を抱えて人々がどのように生きてきたのか、何を求め、訴えたかったのかを聞き取りによって読み解く」試みはオーラルヒストリー研究の可能性を深めていくことができるだろう。
 第二報告者の下田健太郎氏(慶應義塾大学大学院)は「水俣埋立地の石像物を創出するライフヒストリー」として、水俣病被害者家族で水俣湾埋立地後の公園に二体の石像を建立した女性のライフヒストリーからその「不自然な読点」に注目し水俣病認識をめぐる問題を浮かびあがらせた。とくに語りのなかの「不自然な読点」への注目というユニークな着眼は今後の研究が期待される。
 第三報告者の郷崇倫氏(JAリビングレガシー代表)による「JAリビングレガシー、オーラルヒストリー、そして日系二世朝鮮戦争退役軍人(JAリビングレガシーのオーラルヒストリーを通じた活動と対話の実績報告)」はJAリビングレガシーというアメリカ合衆国を拠点とするNPOのオーラルヒストリー活動を紹介された。日系アメリカ人だけでなく日米両国でのオーラルヒストリー活動を実践する方針が披露された。
 清水美里氏(東京外国語大学大学院)は「八田與一物語の形成とその政治性-日台交流の現場からの視点」と題して、戦前期に台湾南部の鳥山頭ダムを中心にした水利事業である嘉南大?を手がけた八田與一をめぐる台湾と日本での語られ方を比較検討し、物語の変容を政治性の観点から検討した。八田物語の両国における差異の縮減という指摘は語りの分析に比較研究の視点をとりいれて浮上したものであり、オーラルヒストリー研究の新たな展開可能性が見いだされる。各報告者への質疑が出て、報告者と聴衆との議論が活発であったが、最後に4人に共通する質問としてオーラルヒストリーへのパッションを尋ねる問いかけがあり、各人の研究への動機が披露された。各報告者が表明したオーラルヒストリー研究へのきっかけはそれぞれのバックグラウンドの反映された個性的な回答であり、感動的なものであった。(小林多寿子)

4.第3分科会:「ポスト・コロニアルとオーラル・ヒストリー」
 定刻より7分ほど遅れて、分科会が始まった。開始当初はフロアの参加者も少なかったが、半ばを過ぎるころには、3、40人前後の参加者となった。まず、松岡昌和氏(一橋大学大学院)の報告タイトルは、「日本軍政下シンガポールにおける「『日本文化』」」である。日本軍政下における音楽工作、とくにラジオを通じて行われた音楽教育のプロパガンダの理念と実態を明らかにしたもので、カタカナ新聞『サクラ』における日本語教育やラジオで唱歌を流す皇民化政策が進められた。National Archives of Singapore所蔵のOral History Collectionのなかの証言が興味深いが、今後は、証言データの質を検討したうえで、詳細に見ていくことで厚みのある研究になると思われる。
 第2報告の北澤慶氏(大阪大学大学院)は、「“在韓日本人妻”の相互扶助組織・『芙蓉会』」と題して、当事者の一人のライフストーリーから、「芙蓉会」の意義を検討している。日本への窓口であり、日本との出合いを感じられる場でもあることが確認されたが、今後はさらに多くの当事者に調査を続けて芙蓉会の重層的な意義をあきらかにすることが期待される。
 続く南誠氏(日本学術振興会特別研究員)は中国残留日本人についてである。「社会運動の中の『中国残留日本人孤児』」と題し、とくに国家賠償訴訟運動における「棄民」と「戦争犠牲者」のモデル・ストーリーに対して、それとは異なるストーリーが生まれつつある現状が指摘された。
 第4報告と第5報告は、在日朝鮮人の「民族カテゴリー」をめぐる問題であった。橋本みゆき氏(横浜市立大学非常勤講師)は、在日二世女性の結婚をめぐって、「ある在日韓国・朝鮮人女性のライフストーリーにおける親密圏の条件」と題する報告を行った。配偶者選択に悩む女性のライフストーリーから、親密圏の行為において民族属性がどのように影響したのかを検討した。安易な「文化」や「民族」による理解ではなく、具体的な社会関係のなかでエスニシティを理解する必要性を説く。また、李洪章氏(京都大学大学院)は、「カテゴリーを拒否する『ダブル』のライフ・ストーリー」と題して、在日朝鮮人と日本人の間に生まれた「ダブル」の存在に焦点をあて、一人の「ダブル」の女性のライフストーリーから、彼女が「民族」カテゴリーから自由な現在の考え方にどのように至ったのかを読み解いている。そこにあるのは、個人と個人の対話を重視し民族カテゴリーの解体を目指す姿勢であった。
 最後の30分ほどの全体討論では、それぞれの報告に質問がでるなど、5人の報