第1分科会(戦争)報告要旨

第1分科会(戦争)
司会:木村豊、人見佐知子

ろう者の原爆の語り
四條知恵(日本学術振興会特別研究員PD(長崎大学))
原爆被爆後の障害は、原爆被害そのものとして語られてきたが、被爆以前から障害を持っていた人々の被害とその後の歩みが社会的に顧みられる機会は少なかった。従来の市史を中心とする歴史記述の中で周縁におかれてきた社会的弱者の原爆被害の中でも、障害者の被害の問題に取り組んだ先行研究は少なく、被害の実態も不明である。報告者の関心は、ろう者の集団がどのように原爆被害の記憶を形成してきたのかということにある。本報告では、長崎県立ろう学校をめぐる原爆の語りに着目し、集団としてどのように原爆被害の記憶が形成されてきたのかを検討する。

移動する女性の体験が意味すること~済南の日本人居留地、満州・錦州での生活経験と八路軍従軍看護婦経験を有する女性のライフ・ヒストリー~
竹原信也(奈良工業高等専門学校)
前年度JOHA16にて『中国残留日本人女性のオーラル・ヒストリー~移動・家族・従軍看護婦を中心に~』と題し、済南の日本人居留地で生まれ、満州・女学校時代に挺身看護隊として学徒動員され、終戦後は八路軍に従軍看護婦として留用され中国国内を転々とした女性の体験を帰国後の生活も含めて報告した。本報告では、前年度報告と指摘を省みつつ、(1)済南、満州・錦州での食生活・教育・家族形態などの生活実態、(2)八路軍従軍看護婦経験の記憶や口述資料を巡る問題、(3)彼女の「移動」と「体験」を通じて考える「近代日本」と「日本人」の多様なあり方という、三つの個別のテーマについて報告する。

1980年代のわだつみ会における加害者性との向き合い——1988年の規約改正に着目して
那波泰輔(一橋大学大学院)
本発表は、戦没学徒の遺書集『きけわだつみのこえ』を軸に作られた日本戦没学生記念会(わだつみ会)が、1988年に規約に戦争責任の文言をいれたことに着目し、1980年代にわだつみ会がどのように加害者性と向き合っていったのかを考察をしていく。1980年代は教科書問題などにより、日本の加害者性とアジアへの被害がより周知されていった時代であった。1970年代以降、わだつみ会への若い世代の入会が少なくなっており、1980年代に会は積極的に若い世代に働きかけた。しかし、若い世代からはわだつみ会の加害者意識の欠如を指摘されることになった。1980年代に加害者意識が問われたことや、若い世代の獲得を目指したことなどにより規約改正が議論され、規約に戦争責任の文言を追加されていった。

沖縄県の在日米軍基地における「黙認耕作」
福田真郷(京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程)
発表者は、2018年に計3か月間、沖縄県沖縄市にある、在日米軍嘉手納弾薬庫施設内の「黙認耕作地」にて農業、畜産業に従事しフィールドワークを実施した。「黙認耕作」とは、在日米軍基地敷地内での、住民による農業などの土地利用を指す。高度な軍事利用のされていない場所で、一定の制限のもと住民が果樹やサトウキビなどを栽培している。成立背景を戦中、戦後の米軍による土地収奪に持ち、「島ぐるみ闘争」を経て正式に制度化された。沖縄市、読谷村、嘉手納町など県中部には、フェンスの内外、土地所有権の有無を問わず、多くの耕作者が今なお存在する。本発表は、「黙認耕作者」および地域と米軍基地の関係性に焦点を当て、その様相を述べる。