JOHAフォーラム第3回セッション開催報告

JOHA オーラル・ヒストリーフォーラム「学知と現実のはざま」
第3回セッション「学知と現実のはざまと当事者研究」開催報告

去る2月25日(土)、JOHAオーラル・ヒストリーフォーラム「学知と現実のはざま」の第3回セッション「学知と現実のはざまと当事者研究」が開催されました。最終回の今回は、学知と現実の緊張関係のなかに置かれ、私たちの生と死を規定する医療の領域で、近年特に注目され発展を遂げている「当事者研究」をテーマに設定しました。話題提供者には、みずからの存在可能性のためにご自身の生を賭けて格闘してこられた、「当事者研究」を専門とする熊谷晋一郎さんと綾屋紗月さんを迎えました。当日は36名もの参加者があり、小さな会場の座席を埋め尽くすほどの盛況ぶりで、終始活発な議論が交わされました。
一人目の熊谷晋一郎さん(東京大学先端科学技術研究センター)は、「なぜ『当事者』か、なぜ『研究』か ―治療の論理・運動の論理・私研究を超えて―」というタイトルで、当事者による研究の必要性やその意味について発表しました。まず綾屋さんによるご自身の「感覚飽和」という状態についての紹介を踏まえた上で、熊谷さんは、「当事者」および「研究」という言葉を使うことの意図と意味や、「当事者」の経験に基づいた外界のモノや他者を意味化するためのメカニズムのありよう、専門家主義の第一世代、当事者主義の第二世代、差異を認めながら連帯する第三世代というように、人とのつながりという面で抱える困難さの経時的変化などについて語りました。
二人目の綾屋紗月さん(東京大学先端科学技術研究センター)は、「当事者研究の実践で突きつけられ、修正を迫られるもの」というタイトルのもと、現在取り組まれている実践を中心に報告しました。昨年から当事者研究会を開始したことや研究会を運営する上での工夫、ルールの作成と修正、そして自分の経験を安心して語ることができるという信頼を研究会のなかで獲得することの難しさという問題に直面していることなどについて、でした。
このようなお二人のご報告のあと、グループディスカッションと全体討論を行いました。今回は熊谷さんと綾屋さんの方から2つの問題提起があり、それについてまずはグループ内で議論を深めました。その問題提起とは、(1)生きるための当事者研究の実践方法とは(実践の場としての当事者研究会の効果的な運営方法とは)、(2)当事者研究は既存の学問とどのような関係を築いたらよいか、でした。5つのグループに分かれたグループディスカッションでは、それぞれに本音ベースの意見が飛び交っていました。
続いて全体討論では、問題提起に直接応答するというよりも、それを巡ってさまざまな問いや疑問、意見、感想が交わされました。専門性を高めるために議論を深めるとなると、オープンな場ではなくなり多くの人や他の専門知との連帯が難しくなるというバランスの問題や、研究という言葉をあえて使うことの理由や戦略、あらゆる知は根本的に信頼の上に成り立っている!といった主張、研究の論理を追求することで当事者同士の連帯も可能となるといったことなどなど、予定時間ぎりぎりになるまで熱い討論の場となりました。(記録担当:八木良広)