【第2分科会】「戦争・植民」報告要旨

【第2分科会】「戦争・植民」
司会:人見 佐知子

「地域社会によるオーラル・ヒストリーの継承の可能性と限界―『下伊那のなかの満洲』の事例から」
伊吹 唯(熊本保健科学大学保健科学部共通教育センター/医学検査学科助教)
本研究では、長野県飯田市において市民が発足させた「満蒙開拓を語りつぐ会」(以下、「語りつぐ会」)によって行われた中国帰国者への聞き取り活動を再評価することを目的とする。「語りつぐ会」の活動とその成果として刊行された全10集の聞き取り集は、地域社会における歴史実践、市民による歴史の継承の取り組みとして評価されてきた。本報告では、「語りつぐ会」の活動終了からおよそ10年が経過したこともふまえつつ、「語りつぐ会」以外の中国帰国者への聞き取り活動(例えば、中国帰国者支援・交流センターによるものなど)を参照しながら、「語りつぐ会」による活動とその成果の特徴や意義を再検討し、残された課題についても検討することを目指す。

「戦後混乱期横須賀に生まれた混血児のライフストーリーを描いたドキュメンタリー映画の学術的意味について」
木川 剛志(和歌山大学観光学部教授)
発表者(木川剛志)のもとにFacebookを通じてメッセージが届いた。「木川信子を知っていますか?」。送り手はアメリカに住む女性で、彼女の母は1947年横須賀に混血児として生まれ、1953年に養子縁組で渡米した。日本名は木川洋子、その実母の名前が信子だった。同じ名字のKigawaであれば何か知っているのではと、実際には無関係の木川剛志にメッセージは送られてきた。発表者はこの縁から木川信子の消息を探すために横須賀を調査し、住民から話を聞き、洋子が養子縁組に至った当時の歴史背景を聞く。そして、洋子の66年ぶりの帰国を支援し、その模様をドキュメンタリー映画に収めた。このドキュメンタリー映画の学術的意味を探る。

「戦争体験の継承とフィクション物語―『余白』の文脈形成機能に注目して」
山本 唯人(法政大学大原社会問題研究所)
本報告では、東京大空襲体験者の半生を描いた演劇作品『魚の目に水は映らず』(2019年3月上演、作・演出きたむらけんじ)を題材に、戦争体験の継承に、フィクションとして創作された物語作品が果たす役割について検討する。リクール=小林多寿子の議論をもとに、体験の継承を、「語り」に媒介された世代間の学習的な解釈の過程と捉えると共に、フィクション物語における「余白」の文脈形成機能に注目したイーザーの読書行為論を参照し、フィクション物語が提示する仮説的文脈を、適切な批評や関連資料の収集と結び合わせることで、戦争体験理解の充実につながる可能性を指摘する。

「韓国人被爆者の語りから、多様な『被爆者像』を考える」
橋場 紀子(長崎大学多文化社会学研究科博士課程)
植民地下の広島・長崎で被爆し、戦後、朝鮮半島に帰国したものの60年余り被爆者援護の枠外に置かれた韓国人被爆者に関する先行研究は少ないが、本報告では、最晩年まで被爆体験を語らず、韓国南部に暮らし100歳で亡くなった姜正守さんご夫婦の証言に焦点をあてる。市民活動の記録やジャーナリストらの報道などでは、韓国人被爆者は「恨(ハン)」の思いを一生、持ち続けたとされてきた。しかし、本報告ではその通説とは異なる韓国人被爆者像が存在することを明らかにする。具体的には2人がこれまで沈黙を守った経緯やその理由に関する「語り」、他の韓国人被爆者との語りの相違点に注目する。姜さん夫妻の被爆体験は、他の韓国人被爆者と異なり植民地政策への批判はなく、広島における生活への思い出などが多く含まれる。一方で、被爆者が語っていないこと、あるいは聞き手に伝わっていないことの存在を改めて示し、被爆体験や植民地下での朝鮮半島出身者の生活の多様性を表そうとするものである。