第6回年次大会要旨

シンポジウム報告要旨
テーマ:オーラル・ヒストリーと〈和解〉
Oral History and Reconciliation
(1)狐崎 知己 KOZAKI Tomomi
ポスト・ジェノサイド社会を生きる人たち―和解のための諸条件とオーラリティの役割―
 ジェノサイドが赦すことも裁くこともできない根源悪をなすとしても、その犠牲者たちは加害者と顔を突き合わせて生き続けなければならない。和解が究極的には「加害者への信頼の回復」を意味するならば、ポスト・ジェノサイド社会における和解のための諸条件とは何であろうか。ジェノサイドの首謀者が政治権力を掌握し、実行犯が隣人として暮らす中米グアテマラにおいて、犠牲者が怒りと憎しみ、悲しみと恐怖から自らを解放するうえで、オーラリティは重要な役割を果たしてきた。「恐怖の克服」「死者との和解」「真相究明」「正義と補償」「赦し」をキーワードに、ジェノサイドの実態を証言し、正義の追求に挑み続けるマヤ女性たちの活動を分析し、和解への行程について考えてみたい。また、聞き手役を果たしてきた人権団体、宗教団体、真相究明委員会、研究者らの役割についても考察したい。
(2)蘭 信三 ARARAGI Shinzo
オーラル・ヒストリー実践と歴史との<和解>
Oral History Practice and “Reconciliation” with History
 本報告は、長野県下の「満豪開拓を語りつぐ会」での実践活動を中心に、オーラル・ヒストリー実践と地域史の了解、あるいは歴史との<和解>について論じる。「満豪開拓を語りつぐ会」は、全国でもっとも多くの満州移民を送出しながら、戦後長らく抑圧されてきたその体験を、地域のなかでの加害・被害関係や、「帝国主義的侵略の手先」という紋切り型の批判を乗り越え、体験者に寄り添って聞き取ることをめざし、発足された。聞き書き活動のなかで語り手と聞き手との了解(和解)、当事者間の和解・対立などがあったが、それはオーラル・ヒストリー実践による地域史の理解・了解と言えるものでもあった。ではこのことは歴史との<和解>を意味しているのだろうか、そもそも歴史との<和解>という設問自体が意味をなすものだろうか。<日韓の和解>もそれぞれの歴史との内なる和解が不可欠という朴裕河の主張からヒントを得つつ、オーラル・ヒストリー実践と歴史との<和解>について考察していきたい。
(3)好井 裕明 YOSHII Hiroaki
差別を語るということ/差別について語るということ
Telling discriminations/ Talking about discriminations
 差別というできごとをめぐり〈和解〉は可能なのだろうか。そもそも〈和解〉するとは、差別問題においてどのような実践を意味するのだろうか。本シンポでの今一つのキータームであるオーラリティ、すなわち〈語り・聞く〉という営みを手がかりとしながら、差別というできごとに対して、私たちは、どのようにして折り合いをつけているのか。またどのようにして折り合いをつけるべきなのかについて考えてみたい。オーラルをめぐる実践、オーラルなものを注視することは、なにも人々の生活史や社会問題を生きる人々の軌跡を調べる実践・方法としてのみあるのではないだろう。誰に向かって、何を、どのように語り、聞くのかをめぐり真摯に考え実践すること。それは私たちが他者と出会い、他者と向きあっていくうえでの基本といえる。そうした営みが、差別や排除とどのように関連しあっているのか。そんなことを考えながら、差別と〈和解〉について語ってみたい。
3.自由報告要旨
第1分科会
(1)木村 豊  KIMURA Yutaka
東京大空襲の記憶に関する一考察―1945年3月10日を生き抜いた家族への聞き取りから
Memories of The Great Tokyo Air Raid : Interview with The Tokyo survivors
 1945年3月10日、東京下町を襲った大空襲は、10万人の死者を出したにもかかわらず、それが戦後日本社会の中で取り上げられることはあまりにも少なかった。東京大空襲の記憶に対する社会的な関心は、1970年代の東京大空襲を記録する会、2000年代の東京空襲犠牲者遺族会という2つの市民運動を通して、徐々に高まってきたといえる。一方、本報告で取り上げる5人の姉妹は、戦後家族が集まると「いつもその(東京大空襲の)話になった」という。そこで本報告では、東京空襲犠牲者遺族会会員であるこの5人の姉妹への聞き取りから、東京大空襲の記憶が戦後この家族の中でいかに捉えられてきたのか、そしてそれが個々の人生の中でいかなる意味を持っているのかを考察したい。
(2)八木良広 YAGI Yoshihiro
沖縄戦を語り継ぐ(1) ―オーラルヒストリー実践としての沖縄戦研究
The succession of narrating the Battle and peoplesユ Lives in Okinawa: The Research of Battle in Okinawa as one practice of Oral History approach. 
 本報告は、沖縄戦の実相解明やアジア太平洋戦争後の沖縄社会にまつわるさまざまな問題に一貫して取り組んできた石原昌家氏の研究をレビューしながら、オーラルヒストリーの可能性を探ることを目的としている。代表的な沖縄戦争史家である石原氏の30年以上にも及ぶこれまでの取り組みは、家永教科書裁判や靖国問題など政治闘争の文脈に対応しつつも、調査方法や対象者との出会い、対象者との関係性、語りの妥当性など、オーラルヒストリー研究のなかで議論になりやすいトピックの実践例として読み解くことも可能である。多くの著作と石原氏へのインタビューを相互に参照しながら、それらの内実を明らかにするとともに、語り継ぐ主体としての石原氏のスタンスを浮かび上がらせる。
(3)石川良子 ISHIKAWA Ryoko
沖縄戦を語り継ぐ(2) ―「戦争」と「日常」をつなぐ
The succession of narrating the Battle and peoplesユ Lives in Okinawa: Linking War with Everyday life
本報告では、沖縄国際大学の学生による平和ガイド・サークルの活動を紹介するとともに、創立メンバーへのインタビューから、彼/女らが戦争をどう受け止め、何を伝えようとしているのか検討する。このサークルでは笑顔で生きられることこそを平和と捉えており、日常と断絶したところに戦争を置くのではなく、両者を連続線上に位置づけようとする試みを見出せる。メンバーたちはこうした認識に立って、自分とほぼ同世代の中高生を相手にガイドを行っている。こうした実践のなかに、戦争体験者の実感やメンタリティを共有することが難しい若い世代が、遠い過去の出来事としてではなく戦争に向き合っていくことの可能性を見出していく。
(4)桜井 厚 SAKURAI Atsushi
沖縄戦を語り継ぐ(3) ―戦争体験の表象方法
The succession of narrating the Battle and peoples’ Lives in Okinawa: ways of representation of war experiences
 沖縄戦の体験や遺品などを町内の各地区から精力的に収集し、陸軍病院壕の保存もおこなっている南風原町文化センターを中心とする沖縄戦の体験を語り継ぐいくつかの活動を紹介し、戦争体験の表象とはなにかを関係者へのインタビューをもとに考察する。南風原文化センターでは、遺品の展示においては、比較的ポピュラーにおこなわれている一元的なストーリーによる展示方法とは異なり、むしろ見学者のアクティブな解釈を促すことを期待するところに、沖縄戦を「歴史化」するのではなく「現在化」する試みがうかがえる。体験者自身の語りが確実に少なくなるなかで、いかに戦争体験を語り継ぐのかは大きな課題になりつつあるが、こうした活動事例をとおして戦争体験の表象のあり方を考えたい。
第2分科会
(1)小林奈緒子 KOBAYASHI Naoko
運動史におけるオーラル・ヒストリーの有効性
Effectiveness of oral history in history of movement
  長崎の被爆者の中には、「戦災者」として組織を作り、物資配給の斡旋や医療要求などを行った者たちがいた。報告では、運動史におけるオーラル・ヒストリーの有効性について述べる。文字史料からは見出せない、人と人とのつながりや小さな出来事の積み重ねが、戦災者組織の活動の素地となっている。この戦災者組織に関わった人物へのオーラル・ヒストリーから、この組織が長崎の被爆者運動の出発点だったことが明らかとなった。例えば、この戦災者組織が始めた慰霊祭は、現在に至るまで受け継がれている。そして当時から行っていた医療要求は、長崎原爆被災者協議会へと継承されている。戦後初期の文字史料が少ない中、この時期の運動について考察しようと考えた時、運動に関わった人や運動を知る人物へのオーラル・ヒストリーはまさに文字史料と事実の間隙を埋める行為として有効であろう。
(2)下田 健太郎 SHIMODA Kentaro
水俣湾埋立地の石像物を創出したライフヒストリー
Life histories inventing stone statues on the landfill of Minamata bay
 水俣病事件は、関西訴訟を除く患者団体が1995年の政府和解案を受諾したことで、政治的には全面解決を迎えた。また、加害企業であるチッソ水俣工場がかつて30年以上にわたって汚染物質を直接排出した水俣湾は、県による水銀汚泥処理・埋め立て工事によって現在はきれいに整備された公園となっている。水俣病事件が「過去のもの」になっていく一方で、「嘆き悲しみの魂たちが集う」祈りの場として埋立地をとらえ、1996年以降現在に至るまで、その護岸の一角に様々なモチーフの石像物(計51体)を建立してきた人々がいる。彼らは水俣病をどのように意味付け、何を残そうとしているのか。本発表では、既存の語り資料やフィールドワークの情報をもとに、石像物を建立した個々人のライフヒストリーから検討する。
(3)郷 崇倫 Takamichi Taka GO
JAリビングレガシーとオーラルヒストリー ―オーラルヒストリーを通じた世代を超えた対話を目指す―
The Historical Communication, a Crucial Role for the JA Living Legacy: Spreading the Untold Voices for People
 このプレゼンテーションではJAリビングレガシーの歩んだ道のりと、私たちのオーラルヒストリーを通した「日系アメリカ人との対話」について発表します。はじめに、JAリビングレガシーが始まったいきさつの説明に続き、JAリビングレガシーの組織がどのような形態で維持されているのかを説明します。次に、私たちの主な活動内容である「オーラルヒストリーを通した対話」についてお話をします。ここでは、私たちの行う朝鮮戦争に従軍した二世の日系アメリカ人との対話について説明をします。その他、JAリビングレガシーの日本での活動についても紹介します。JAリビングレガシーの活動紹介がオーラルヒストリーを利用する皆様にとって有意義なものであることを願っています。
(4)清水美里 SHIMIZU Misato
八田與一物語の形成とその政治性-日台交流の現場からの視点
The formation and political explanation of Yoichi Hatta: view of making relationship activity field between Japan and Taiwan
 日本統治時代の台湾の開発において、二大事業の一つといわれたのが嘉義と台南の平原15万ヘクタールに農業用水を引いた嘉南大[土川]事業である。八田與一はその嘉南大ヲ`の設計と水源のダム建設の現場監督に従事した。工事竣工後、彼の銅像がダム貯水池の湖畔に建てられ、戦時に一時行方不明期間があるが、現在もその銅像が残り毎年命日に追悼会が開かれている。
 この八田與一の語りは、1990年代から政治性をおびる。発表者は八田与一の出身地、金沢の「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」の墓参旅行に2度追行した。その際、陳水扁、李登輝、馬英九に接見する機会を得た。本報告では、現在嘉南大[土川]を管理する嘉南農田水利会側の証言と、「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」の証言、台湾政治家の証言を比較する。
第3分科会
(1)松岡昌和 MATSUOKA Masakazu
日本軍政下シンガポールにおける「日本文化」認識
Singaporeans’ View of ‘Japanese Culture’ under Japanese Occupation 1942-1945
 1942年2月にシンガポールを占領した日本軍は、さまざまなメディアを使った宣撫工作を行った。その際に課題となったのが、「日本文化」が「欧米文化」よりも「優れた」ものであると主張し、それを占領地に宣伝することであった。本報告は、そこで宣伝された「日本文化」が占領地でどのように認識されていたのかを明らかにしようとする試みである。具体的にはラジオで流された「日本の歌」を取り上げる。方法としては、まず、軍政下シンガポールでの音楽を用いた宣撫工作の理念と実態を明らかにし、その上で、シンガポール国立文書館所蔵の証言から、「日本の歌」に対する占領地住民の認識を見ていく。
(2)北澤 慶 KITAZAWA Kei
 “在韓日本人妻”の相互扶助組織・「芙蓉会」
 ”FUYOU-KAI”, the mutual-aid association of Japanese women who lived in South Korea
 “在韓日本人妻”(日本人妻と略)とは、日本の植民地支配期を背景に、主に戦前に朝鮮人男性と結婚・終戦直後の引き揚げ期に夫とともに玄界灘を越えるなどして、戦後の韓国で生活をおくってきた日本人女性である。「芙蓉会」は1960年代に結成された、韓国唯一の日本人妻の相互扶助と親睦の組織で、ソウルと釜山の本部を中心に韓国の各地に支部をおき、現在でも活動が続けられている。本報告では、個々の日本人妻の多様な生の営みに対し、芙蓉会という“集い”がどのように位置づけられ、どんな役割を果たしてきたのかということを、報告者がおこなった関係者への聞き取り調査等を通じて考察したい。
(3)南 誠  MINAMI Makoto
社会運動の中の「中国残留日本人孤児」
“Japanese orphans left in China” in the social movement 
 日本社会における「中国残留日本人」の語られ方や記憶・表象のされ方は報告者の一貫した関心である。もちろん、それらの受容も関心の範囲内であることはいうまでもない。本報告は2000年以降の国家賠償訴訟運動において表出される「中国残留日本人孤児」に焦点をしぼって、報告者の支援活動(参与観察)で得た知見のほか、法廷内での陳述や出版物を基に、その語り/表象と語られ方について分析しつつ、語りの構築され方および語りと場の関係について検討する。以上の作業を通して、「中国残留日本人孤児」のカウンターナラティヴの可能性を探ってみたい。
(4)橋本みゆき HASHIMOTO Miyuki
ある在日韓国・朝鮮人女性のライフストーリーにおける親密圏の条件
Conditions of Intimate Sphere in a Zainichi Korean Woman’s Life Story
 本報告で紹介するのは、若い世代の在日韓国・朝鮮人に自身の配偶者選択について語ってもらった事例の一つである。在日二世の彼女は、激しいディレンマの末、ある日本国籍男性と結婚した。彼女はそれまで親に従順であったが、相手の国籍を理由に両親から強硬に反対され、そこから疑問が生まれた結果である。
 齋藤純一によると、親密圏とは、生の安全/安心が見込める具体的他者(この場合は結婚相手)との関係性を指し、親密圏の形成は社会関係の「近さ」を再編する。彼女の親密圏の条件が親とは異なるとしたらなぜ違うのか。彼女の〈民族〉認識は親とどう関係しているか。報告では、「親密圏」を構成する〈民族〉という条件の具体的内容とその変容の可能性を論じたい。
(5)李洪章  Lee Hongjang
カテゴリーを拒否する「ダブル」のライフ・ストーリー ―「日本人」と「在日朝鮮人」という二つの世界観をめぐって―
Life story of “Double” refuses categories: The positionality between two points of view , “Japanese” and “Korean residents in Japan”
 本報告では、在日朝鮮人と日本人の間に生まれた「ダブル」が、自身の「異種混交性」を差別構造のなかでよりよき生を実現するための「戦略」として解釈していく様子を、彼/彼女らのライフ・ストーリーから読み取っていく。近年、「日本人か在日朝鮮人か」という問いを、「日本人であり在日朝鮮人でもある」という「ダブル」性を肯定的に捉え直すことによって、めぐる葛藤を乗り越えていく人々が出現している。しかしながら、このような人々は、在日朝鮮人の歴史的経緯や、日本人=在日朝鮮人間の不正常な関係を前にして、「加害者か被害者か」という新たな次元での葛藤に直面せざるをえない。そこで彼/彼女は、この難題に対して再び、「加害/被害」の二者択一を超克するための、多様で複雑な「戦略」を編み出していくのである。
第4分科会
(1)仲 真人 Naka Masato
ある筋無力症患者の語る生活史
A Life Story of a Myasthenia Gravis Patient
 神経筋難病のひとつ、重症筋無力症(MG)の患者である30代の女性の生活史を報告する。千葉県館山市に在住していた女性は、2003年5月にMGを発症、入院し胸腺摘除手術を受けた後、2年にわたる独居での療養生活を経験した。報告者が行った女性へのライフストーリー・インタビューでは、療養生活中に彼女が経験した不安や孤独、社会からの疎外、友人たちとの葛藤、健康観の変化などが語られた。臨床の場で支配的な地位を占める、生物医学的な「疾患」としてのMGの「物語」とは異なる、生活の中で経験された「病」としてのMGの「物語」を紹介しつつ、生活者によって経験される「難病」、「慢性疾患」の意味の解釈をこころみる。
(2)木村絵里子 KIMURA Eriko
美容外科手術の経験者の語り
Lifestory of Cosmetic surgery experienced person
 
美容外科医学の治療対象とは、形態上は健康な身体であるが、容姿に起因する精神的苦痛(コンプレックス)という「心の問題」の改善が治療の目的として掲げられている。しかし、手術をおこなうか否かの判断基準は、抽象的であり、必ずしも明確なものではない。では、実際に美容外科手術をおこなった経験者たちは、どのような基準のもとに(心の問題を生起する)自らの身体に対する線引きをおこない、美容外科医学の「患者」となっていったのだろうか。本報告では、手術の経験者のライフストーリーからその日常的・社会的リアリティに接近する。「美しい身体」を志向する語りに着目しながら、容姿に関する「コンプレックス」の形成のされ方を検討し、美容外科医学に関わる問題を提起していきたい。
(3)瀬端 睦 SEBATA Mutsumi
異文化コミュニケーションにおける「気遣い」:今昔・男女・日中の差異
“Ki zukai (attentiveness)” in Intercultural Communication: Differences between Past and Present, Men and Women, and Japanese and Chinese
「気を使う」「気まぐれ」「気が合う」。こうした「気」を含んだ表現は1000個以上にもなるとも言われ、日本人の日常と深く結びついている。「気」は元来、中国起源の思想であるが、朝鮮、日本へと伝えられ、独自の変化を遂げた。中国では「気」を万物の根源として物質的に捉える傾向があるが、日本では対人関係における「気配り」や「気遣い」といった精神面が強調される。そうした「気配り」や「気遣い」はコミュニケーションの問題に他ならない。しかしながら、これまでは「気」の思想研究・言語研究が多く、実際のコミュニケーションにおける「気」の学術的研究は殆どなされてこなかった。本発表では日本人のコミュニケーションに焦点を当て、「気が利く」(「気を使う・配る」等も含む)行為に関する日本人(一部、中国人)の語りを中心に、過去と現在、男性と女性、日本と中国の差異を分析し、言語表現と相互行為、感情の関わりを考察する。
(4)渡辺祐介 WATANABE Yuusuke
語り手にとってのライフストーリー・インタビュー
Life-Story Interview from Narrator’s Perspective
 ライフストーリー・インタビューを続けていると、語り手と聞き手のラポール、ライフストーリーへの語り手の意味づけに変化が生じてきた。語り手は聞き手を〈友人〉と呼ぶようになり、ライフストーリーを「切実な、大切な」個人的記憶であると同時に、惑いながらも「(後世に)遺すもの」と措定し始め、さらには日常生活そのものも変化した様子である。そもそも、研究者の依頼によって始まる一連のインタビューは、語り手にとってどのように解釈されているのか。本発表では、ライフストーリー・インタビューを語り手の視点から反省し、「ライフヒストリー研究とは何か」という問いに、語り手と聞き手の相互主観から迫る基礎を報告する。
(5)鈴 木 隆 雄 SUZUKI Takao
研究対象者としての研究者 ―方法論としての自己エスノグラフィー―
A Researcher of research as an object person: Writing A Method of Autoethnography
 社会から周縁化、異端視されたりする、ある文化の「当事者」であり完全なインサイダーである当事者研究者は、自己や自己の文化を他者(外部)に向けて表現しその解釈を示していく研究手法として「自己エスノグラフィー」という方法論がある。「自己エスノグラフィー」とは、一般的には、「人類学者が「自分自身」を文化的レベルで研究すること」(Hayano 1979)と定義とされている。
 しかし、人文社会科学としての「自己エスノグラフィー」という用語は、その厳密な定義や用法が曖昧なまま使用されているといえる。そこで本研究報告では、わが国では、なじみの薄い「自己エスノグラフィー」の紹介とともに、当事者研究、マイノリティ研究における方法論としての「自己エスノグラフィー」の可能性を模索しようとする試みである。